2006年02月16日

安藤美姫 5週間で4大会の日程

2005年 05月 22日
安藤美姫 5週間で4大会の日程
GPシリーズ第5戦ロシア杯の11月24日から5週間だそうです。
美姫が超ハード日程、5週で4大会 :日刊スポーツ
  
Posted by cvb at 07:44 安藤美姫 2005年  |

安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/10

2005年 05月 22日
安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/10
 ◇リンク離れても…

 北米にやって来て2週間が過ぎた15日、安藤美姫は初めて氷の上に乗らなかった。ダウンタウンにあるネイルサロンで、バラの花をあしらったピンクの新しい付けづめを見つめながら、つぶやいた。「フリー(のプログラム)用にと思って」。オフもスケートのことが頭から離れない。

 この日は、いろいろあった。早朝、宿泊しているトロント市内のホテルで火災報知機が響き渡った。パジャマ姿で5階から非常階段を駆け下り、ロビーに避難した。2階の火災は幸いボヤで済んだ。

 午前中は、出発から付き添っていた母明美(40)とインストラクターの樋口豊(55)が帰国の途についた。空港で2人を見送った後、ネイルサロンへ。4月に付けたブルーのつめが外れ始めて気になっていた。

 日本を離れても、なかなか気を緩められない。

 振付師、デビッド・ウィルソン(39)とのプログラム作り以外にも別のスケート場で1〜2時間の自主練習に励む。4回転ジャンプを女性で唯一決めたスケーターは異国の地でも有名人だ。「日本のチャンピオンだから」とリンク代を受け取ってもらえない。新しいプログラムの曲に合わせて滑り始めると、他の選手が練習を止めて見入る。

 「美姫に、あまり気を使ってほしくないのに」と言いつつ、今何をすべきかという自覚はある。

 リンクに立たなくても、ビデオを見て振り付けの研究を怠らない。ホテルの部屋や移動の車の中では、新プログラムの曲をかけてイメージ作りに没頭する。

 買い物が好きで、友達と大騒ぎするのが楽しくて仕方ない。そんな女子高生の顔つきが、少しずつ変わり始めている。=敬称略=つづく・次回は23日の予定<文・張智彦/写真・貝塚太一>

毎日新聞 2005年5月21日 大阪夕刊
  
Posted by cvb at 07:43 安藤美姫 2005年  |

安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/9

2005年 05月 22日
安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/9
 ◇「一流」肌で感じて

 寿司(すし)をつまみながら、安藤美姫はおしゃべりが止まらない。今月11日夜、カナダ・トロントの日本料理店。日本スケート連盟フィギュア強化部長の城田憲子(58)が呼びかけた食事会に02年ソルトレークシティー五輪代表の本田武史(24)や恩田美栄(22)ら6選手が集まった。

 前日、城田はリンクサイドから安藤の動きに目を凝らした。「すごく緊張して、あまり動けなかった」という安藤とは対照的に城田は満足そうだった。

 「随分、(大人の)雰囲気が出ている。こういうことが出来るなんて知らなかった。表情もいいわね」

 例年この時期、城田は海外でプログラムを作る有力選手を視察する。9日はトロントを拠点とする恩田の元へ。「難しいスピンにも挑戦していたわよ」。日本女子の五輪代表枠は3。前世界女王の荒川静香(23)、ソルトレークシティー五輪代表の村主章枝(24)らと争うことになる。

 日本スケート連盟は、98年長野五輪のシーズンから選手を積極的に海外へ派遣している。一流振付師を手配し、プログラムを作った後も現地で練習させる。選手は成熟したスケート文化を肌で感じることができる。長野・野辺山で夏に開催している「有望新人発掘合宿」とともに日本躍進の原動力と言われる。

 海外組の一大拠点になったのがトロントだ。郊外には本田と世界ジュニア王者の織田信成(18)。昨年の全日本選手権2位の中庭健介(23)は安藤と同じデビッド・ウィルソン(39)の元でプログラムを作っている。「ここはスケート連盟の支店ね」と城田。刺激を受けながら、安藤も懸命に自分を磨いている。=敬称略=つづく<文・張智彦/写真・貝塚太一>

毎日新聞 2005年5月20日 大阪夕刊
  
Posted by cvb at 07:42 安藤美姫 2005年  |

安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/8

2005年 05月 22日
安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/8
 ◇美へのステップ

 顔を合わせると冗談を言ったり、ふざけ合ったり。振付師のデビッド・ウィルソン(39)と安藤美姫は次第に打ち解けてきた。だが、振り付けが始まると、リンクの空気は一変する。

 鋭い感性を持ち、美を激しく追求するウィルソンは妥協を許さない。新プログラムの目玉の一つはエレガントな大人の女性を演出すること。音楽に合わせて、柔らかな手の使い方や、首のかしげ方まで、手取り足取りの指導が続く。

 振り付けを外国人に任せるようになって、安藤は4年目を迎える。最近2年はリーアン・ミラー、02〜03年シーズンはマリーナ・ズエバ。いずれも女性だ。

 プログラム作りの過程は一様ではない。ミラーは曲を少しずつ聞かせて、そこから少しずつ振りを決めていく。ズエバはリンクのどこを滑るかを最初に示してから、振り付けに入っていく。ウィルソンは最初から氷の上に立つ。しなやかな身のこなしを教え、難度もアピール度も高いステップを踏ませている。「恥ずかしがらないで付いておいで。その調子でいいんだ」

 スケーターを生かすも殺すもプログラム次第と言っていい。02年ソルトレークシティー五輪代表の村主章枝(すぐりふみえ)(24)は8年前、ローリー・ニコルと出会ってから世界のトップクラスへと飛躍した。見る者の心に訴えかけるプログラム作りを目指す女性振付師は情感豊かな村主とマッチした。コンビは年を重ねるごとに質を高め、最近は多彩な作品でファンを楽しませている。

 振付師を信頼しながら、一つ一つの動作を覚える。レッスンはほぼ休みなく、1日3時間を超える時もある。ハードな日々にも「楽しくできている」と安藤は屈託がない。=敬称略=つづく<文・張智彦/写真・貝塚太一>

毎日新聞 2005年5月19日 大阪夕刊
  
Posted by cvb at 07:41 安藤美姫 2005年  |

安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/7

2005年 05月 22日
安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/7
 ◇音楽、ハートで感じて

 フリーの新しいプログラムの曲を聞いて安藤美姫は驚いた。しとやかで、少しつやっぽい大人の女性のイメージだ。「これまでの自分からは想像できない」

 女子のプログラムはショートが2分50秒以内、フリーが4分前後と決まっている。バレエやオペラ、映画音楽などを凝縮したものがほとんど。物語やテーマを自分の中に取り込み、限られた時間と空間の中で表現しなければならない。

 これまでの安藤は、躍動感や奔放さを前面に出したプログラムが多かった。04〜05年シーズンのショートは情熱的なジプシーが題材で、フリーも速いテンポの部分が大半。代表作のように言われ、今年3月の世界選手権で復活させたバレエ曲「火の鳥」は大空へはばたく不死鳥だった。

 そして、五輪シーズン。新しい振付師、デビッド・ウィルソン(39)はショート、フリーとも、ピアノとバイオリンをメーンとするしっとりとした曲を持ってきた。「音楽をハートで感じ、曲の中に自分を沈みこませる。観衆やジャッジも気にならないほどに……。美姫に、それが出来れば、怖いものはない」

 4回転を女子で初めて成功させたジャンプの能力はだれもが認める。雰囲気たっぷりの振り付けをこなせれば、新コーチのキャロル・ヘイス・ジェンキンス(65)が求めるエレガントさを一層、アピールできる。

 「火の鳥」を除けば、提示された数曲の中から自分が気に入ったものを選んでいた。だが、今回はウィルソンの思いが詰まった曲を受け入れた。「難しいけど、しっかりと演じられれば……」。殻を破って飛躍する自分の姿を安藤は思い浮かべている。=敬称略=つづく<文・張智彦/写真・貝塚太一>

毎日新聞 2005年5月18日 大阪夕刊
  
Posted by cvb at 07:40 安藤美姫 2005年  |

安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/6

2005年 05月 19日
安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/6
 ◇天才肌の振付師

 無精ひげをはやした男性に、女性らしい体の使い方を教わりながら安藤美姫が氷上を舞う。米クリーブランドを離れ、演技のプログラム作りで訪れたカナダ・トロント。安藤に付き添うのは新しい振付師、デビッド・ウィルソン(39)だ。

 04〜05年シーズンは同じカナダ人で世界選手権男子2位のジェフリー・バトル(22)をはじめ、世界トップレベルの選手たちのプログラムを手がけた。

 親日家を自称する振付師は日本人選手とのかかわりも深い。89年世界選手権覇者で92年アルベールビル五輪銀メダリストの伊藤みどり。最近では今年3月の世界ジュニア選手権で優勝した織田信成(18)に絶品プログラムを提供した。ショートプログラムは「スーパー・マリオ・ブラザース」のユニークな振りで笑いを誘い、フリーの「座頭市」ではジャッジや開催地カナダの観衆を和の世界に引き込んだ。戦国武将・織田信長の末えいとして知られる選手の特性を生かした。

 「斬新なだけでなく、新採点システムにも対応できている。安藤の長所や新味をうまく引き出してくれるはず」。日本スケート連盟フィギュア強化部長の城田憲子(58)は期待する。

 現役時代は目立った成績のなかったウィルソンは引退後、アイスショーに出るようになってからバレエダンサーのような身のこなしを会得した。舞台や絵画を愛し、美しい音楽を耳にすれば人目もはばからず涙を流す感性と相まって、振付師としての才能を開花させた。「フィギュアは時に退屈で深刻になり過ぎてしまう。それを少しでも芸術性の高いものにしたい」

 天才肌の振付師は、五輪シーズン用に驚くようなプログラムを準備していた。=敬称略=つづく<文・張智彦/写真・貝塚太一>

毎日新聞 2005年5月17日 大阪夕刊
  
Posted by cvb at 07:38 安藤美姫 2005年  |

安藤美姫 今冬こそ4回転フリー

2005年 05月 18日
安藤美姫 今冬こそ4回転フリー
美姫、今冬こそ4回転フリー :日刊スポーツ
日本スケート連盟の城田憲子フィギュア強化部長は17日、北米で練習する安藤美姫(17)が4回転ジャンプを入れたフリープログラムをつくったことを明かした。
  
Posted by cvb at 07:33 安藤美姫 2005年  |

安藤美姫 毎日新聞夕刊「安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ」20回連載中

Posted by cvb at 07:33 安藤美姫 2005年  |

安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/5

2005年 05月 14日
安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/5
 ◇衣装・靴、魅力新たに

 どうすれば愛弟子の魅力を最大限に引き出せるか。安藤美姫を指導するキャロル・ヘイス・ジェンキンス(65)は、スケーターを彩る衣装のデザインにも思いを巡らす。

 練習2日目の今月3日、安藤は昨季の衣装を持ってリンクに行った。赤と黒の2着。そのうち、ショートプログラム用の赤を実際に身につけてみた。練習着姿では分かりにくい試合本番の雰囲気や体のラインを知ってもらうためだ。間もなく演技のプログラム作りが始まる。それにふさわしい衣装のイメージを膨らませる狙いもある。

 「私も赤が大好き。(60年スコーバレー)五輪は赤いコスチュームで優勝した」と好きな色が安藤と同じことをヘイスは喜んだ。注文も忘れない。「もう少しほっそりした方がいい。飾りはあまり必要ない」。ヘイスの考える「エレガンス」は内面からにじみ出るもの。その上で安藤の持ち味である躍動感や力強さをいかにアピールするか。

 プログラム作りはコーチの仕事ではない。「プログラムの内容も衣装のことも、振付師とよく意見交換したい」というヘイスに安藤は「いろいろなところに気を配ってくれる」と話す。

 米クリーブランドでは、五輪シーズン用の新しい靴で滑り始めた。昨季は革が分厚くて硬めなものを使った。そのため1年に5、6足は履きつぶしていたのが3足で済んだ。ただ、関係は不明ながら、右足甲の故障に苦しんだ。「どんな小さな不安要素も消したい」と軟らかめに。「スケーターの体の一部」と言われる靴は23センチの足になじみつつある。

 8日午後、安藤は新しい振付師の待つカナダ・トロントに向かった。=敬称略=つづく・次回は16日<文・張智彦/写真・貝塚太一>

毎日新聞 2005年5月13日 大阪夕刊
  
Posted by cvb at 07:05 安藤美姫 2005年  |

安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/4

2005年 05月 12日
安藤美姫17歳 ’06トリノ五輪へ/4
 ◇ジャンプの先駆者

 米クリーブランドのスケート場。ロビーには、このリンクで育った選手たちの写真が飾られている。ある男性スケーターのところで安藤美姫の目が留まった。彼の名はティモシー・ゲーブル(24)。「4回転キング」の異名を取る02年ソルトレークシティー五輪銅メダリストは、女子唯一の4回転ジャンパーがお手本とした選手だった。

 安藤が練習で4回転を決め始めたのは中学2年のころ。「ビデオを見て、よく跳び方をまねしていた」。踏み切りのタイミングが抜群で、回転軸が安定しているのが二人の共通点だ。

 ゲーブルのジャンプの才能が開花したのは、キャロル・ヘイス・ジェンキンス(65)に師事してから。99年スケートアメリカ大会では、一つのプログラムで三つの4回転を跳ぶことに世界で初めて成功している。以後、4回転を切り札に五輪や世界選手権で表彰台に上がるようになった。

 ヘイスもジャンプでフィギュアの新しい領域に踏み込んだ。53年世界選手権。優雅さと正確さを競っていた半世紀前、女子で初めてダブルアクセル(2回転半ジャンプ)を跳び、躍動感に象徴されるスポーツ性をアピールした。優勝した60年米スコーバレー五輪では、続けてダブルアクセルを決める離れ業を演じた。

 安藤の4回転について、ヘイスは「彼女のプログラムの中で幹となるものだと思う。成功の確率を上げ、トリノでも入れられるようにしたい」と話す。

 安藤が本格的にジャンプの指導を受けるのはこれから。「軸のことや、なぜ失敗したかという話を聞いていると、感覚が似ていると感じる」。時代と年齢差を超えて、ジャンプの先駆者同士の心が通い合う。=敬称略=つづく<文・張智彦/写真・貝塚太一>

毎日新聞 2005年5月12日 大阪夕刊
  
Posted by cvb at 07:04 安藤美姫 2005年  |