――中日体育賞に決まりました。
歴代の受賞者の方々を拝見すると「うわー、すごいな」と。そんな賞をいただけて幸せに思います。でも、そういう賞が欲しくてスケートを頑張っているわけではない。自分がやるべきことをやった、ご褒美だと思います。
――初優勝した世界選手権を振り返ってください。
コーチの薦めもあって大会前に靴を軽いものに替えました。体力的に楽だし、ジャンプも高くなるから。でも、足に合わなくて、両方のかかとを痛めてしまった。そのせいで、ショートプログラム(SP)は練習できたけど、4分間と演技時間の長いフリーは一度も最後まで通して練習ができず、本番を迎えることに。だから、自分のできることをやろうと。そういうのが世界選手権の演技につながったのだと思います。
――最初のSPで2位につけ、フリーで逆転優勝を狙える位置にいた。
フリーはくじで最終滑走を引き当ててしまい、すごく悲しかったというか、落ち込みました。最終は他の選手の点数が分かるので、とても緊張する。でも、逆に、その緊張がいい方向に持っていけたのかもしれません。フリーの前夜、全員がパーソナルベストを出したらこうなるって、ずっとテレビでやっていたし、前に滑った浅田真央選手が、その通りにパーソナルベスト。自分は、とにかく今までやってきたベストを尽くそうと。
――練習では跳んでいた4回転ジャンプを結局、本番で見送った。
練習では回転がよかった。でも、プログラムに入れるか、入れないかの最終判断はコーチに任せました。4回転に集中するのではなく、ミスをしないクリアな演技をすることを優先しました。4回転がなくても、安藤美姫というスケーターはこれだけできるというところを見せようと。自分の気持ちの中では、うまく消化できていました。
――世界選手権に優勝してから、何か変化は。
あまり変わっていません。最初から順位にこだわっていたら、変化はあったかもしれませんけど。結果ではなく、自分の力をどれだけ出せるかを意識していました。今でも世界選手権で表彰台の一番上に立ったという実感はありません。
――トリノ五輪では満足のいく結果を残せなかった。世界選手権で金メダルを取り、2010年バンクーバー五輪ではメダルが期待される。
トリノの時は選手としての意識が甘かったと思う。荒川選手にいろいろ話を聞きました。荒川選手は最初の長野五輪の時、出ることが夢だったし、楽しむだけだった。でも、トリノでは日本代表としての意識があったと言っていました。自分に足りなかったのは、その日本代表としての意識。周りからみたらトリノはだめな試合だったけど、自分にはいい経験だったし、成長過程でもあったし、いけないところにも気づけた。本当にいい試合だったと今は思える。
3年後のバンクーバー五輪を考えるのではなく、目の前にある一つ一つの試合を大切に。これから先、自分に何が起こるか分からない。出場する試合を百パーセントの力で滑ることです。